Foliage Poet

つたない詩の倉庫/推敲 ・ 改作 ・ 編集

散文 エッセイ誌 『 R』

 

 幾つかの死と 

 

 かつて、入院療養中にこんなことがあった。

 私は結核で入院していたが、呆れたことに、

肺の病気を患っているというのに煙草を止め

ないのであった。更に呆れたことに、病棟に

は私の同類が他に何人もいるのだった。

 療養所の早い朝食を終えると、病棟の西の

出口に一人、二人と顔を出し、ある者は短い

階段に腰を下ろし、ある者は地べたにしゃが

み込んで、食後の一服というわけだ。

 ある朝、私はいつものように食事を済ませ

て西の出口に向かった。階段に腰を下ろし、

ポケットから煙草を出した時、ふと気が付い

た。はて、今朝は何かがいつもと違う。

 その理由はすぐに分かった。私の目の前に

立っている筈の、プラタナスの樹が無くなっ

ている。残っているのは切り株だけだ。私は

横に座っている同室の患者に尋ねた。

「ここにあった樹はどうしたんですか?」

「ああ、八号室のお爺さんが首吊って死んど

ったんよ。明け方に見つかって、この樹はす

ぐに伐ったんよ」

「え……」

 その日の煙草はいつもと違う味がした。

 

 また、こんなこともあった。

 夜中の二時か三時頃だったろうか、私は男

の子の泣き喚く声で目を覚ました。

「おかあちゃーん、いたいよー、いたいよー、

おかあちゃーん、いたいよー」

 聴こえて来るのは斜め前の個室からだ。看

護師達の慌ただしく出入りする足音が聴こえ

る。声の感じでは小学校の高学年くらいだろ

うか。何度も「おかあちゃーん」と叫び、「い

たいよー」と繰り返している。

 療養生活の朝は早い。眠らせて欲しいと私

は強く思った。やれやれ。子供は痛みの訴え

も元気がいいな。生命エネルギーが旺盛なん

だな……。私はしばらく目覚めていたが、い

つの間にかまた眠りに落ちていた。

 朝食後、病室に数人の患者が集まり、いつ

もの世間話が始まった。

「ゆうべは眠れんかったねえ」

 ベッドに腰を降ろしながら私が言うと、ぼ

そっとした声が返って来た。

「しょうがないよ。死んだんじゃけえ」

「え……」

 あれが臨終の時だったのだ。

 世間話に加わった看護師から、その母子は

母一人子一人の境遇だったことを聞いた。

「お母さんがね、二人で苦労して来たんです

よ、って言いよっちゃったよ」

 

 また、こんなこともあった。

 十日後に手術を控えていた私は、手術前の

患者専用の四人部屋に移っていた。

「うーん、う―ん……」

 ベッドに寝ている私の頭の後ろ、壁を隔て

た隣の個室から、呻き声が聴こえて来る。

「うーーん……」

 ああ、痛むんだな……。

 翌朝、廊下に出ると、隣の個室のドアが開

いている。私はそっと中を覗いてみた。

 中年の男性がベッドに寝ていた。床頭台に

花瓶が置いてあり、タオルが掛かり、コップ

に入れた歯磨きと歯ブラシと、その他病室に

ありがちの小物があった。

 別の日の午後、廊下に出ると、やはり隣の

ドアが開いている。私はまた中を覗いてみた。

誰もいなかった。開け放たれた窓とカーテン。

裸のパイプベッド。剥き出しになったマット

レスに淡い日差しが当たり、床頭台の花瓶も

身の周りの小物も何も無い。

 亡くなったのだ。

 この時、私は奇妙な感覚に襲われた。

 あの人は死んだのだ。だからもうここには

いない。ここにはもう何も無い。闘病生活の

痕跡すら残っていない。当たり前だ。死んだ

のだから。当然至極の成り行きだ。

 だが、何と言ったらいいのか、もういない

こと、もう何も無いこと、その当たり前のこ

とが、どうにも不思議で、私の世界の中にす

んなりと収まってくれないようなのだ。

 これは何なのだ? 一体どういうことだ?

 私は再度自分に言い聞かせた。あの人は死

んだのだ。もう引き払って部屋には何も無い

のだ。当たり前のことじゃないか。

 しかし私は、この当たり前のことが不思議

でならなかった。

 

 最後に、こんなこともあった。

 手術を終え、私は二人部屋に移された。同

室には、脳卒中で倒れた年配の男性が、ベッ

ドに寝たきりになっていた。私よりも先にこ

の病室に来ていたらしい。

 看護師がその男性に話し掛けても、返って

くる答えは、アウアウ、ガーゴーとしか、私

の耳には聴こえなかった。しかし彼女は、そ

の声から言葉を聞き取っていた。

「ええー? 竹内さん、何? うん。うん。

息子さん夫婦に? 言うて欲しい? 何を?

ええ? 仕事が忙しいのに? ああ、お嫁さ

んも共働きじゃ言よったねえ。遠いのに?

見舞いに来んでもええ? そう言うて欲しい

ん? そう? そう言うて? 来んでもええ

言うて?」

 大体そんな事を言っているらしかった。

「あのねえ竹内さん。息子さんらはねえ、竹

内さんのことが気掛かりなんよ。竹内さんの

顔が見たいんよ。いつもは疎ましい思うとっ

てもねえ、見舞いに来んと家でも気が休まら

んのよ。じゃけんねえ竹内さん。息子さんら

のためにもねえ、来さしてあげりゃあえんよ。

そうさしてあげりゃあえんよ」

 辛抱強いやり取りだった。竹内さんは彼女

の言葉を聞いて納得したようだ。

 それから何日か経った日のことだ。いつも

のように看護師が、竹内さんの尿道カテーテ

ルと採尿バッグの処置をしにやって来た。す

ると彼が何か言おうとしている。

「どしたん竹内さん。ええ? 何? え!

おしっこ? ほんとにおしっこ? 竹内さ

ん! おしっこがしたいん? ほんとに?

ほんとに?」

 ちょっと待って! 彼女は小走りに病室を

出て行くと、すぐに三・四人連れて帰って来

た。その中には医師もいた。

「竹内さん! おしっこがしたいんですか?

おしっこが? したい? ああー、竹内さん、

良かったですねえ、良かったですねえ」

 排尿関係の神経が回復し、失われていた尿

意が戻って来たのだ。これを徴候として、今

後はかなりの回復が期待できるのかも知れな

い。看護師達も口々に、良かったねえ、良か

ったねえ、と祝福の言葉を掛けていた。

 

 それからまた何日か経ち、私はもっと軽い

病状の人達がいる病室に移った。体力の回復

はまだ充分ではない。だが健康な体を取り戻

す日はそう遠くない。

 退院したら何をしようか。色付き始めた木

々の見える窓に向かって、私は大きくひとつ

伸びをした。

              『R』81 2009年

 

 

 ストーンズの映画を観に行く 

 

 ザ・ローリング・ストーンズ(以下略称「ストーン

ズ」)のライブを撮った映画が公開中だという。広島

市の映画館でやっているそうだ。土曜日の午後、夕方

近くなってから観に行くことにした。今からJRで一

時間とちょっと。最終の上映には充分間に合う。

 冬の陽の暮れかかった三原駅のホーム。各駅停車を

待ちながら、二十歳の頃、同じストーンズの映画『ギ

ミー・シェルター』を観に行ったことを思い出す。

 あの時は胸をワクワクさせながら映画館に向かった

ものだ。しかし今回はだいぶ違う。とっくの昔に興味

を失ってしまったバンド。正直言って行くのが面倒臭

い。じゃあなぜ行くんだろう。単なる暇潰し? わざ

わざこんな冬の日の夕方から? 

 何かが心の奥に引っ掛かっている。忘れ物をしてい

るような感じだ。何だろう。

 思い出せないまま、尾道の方角からやって来た列車

に乗り込む。目指すは広島駅の一つ手前、天神川だ。

 ストーンズの曲を初めて聴いたのは、たぶん中学一

年の時だ。その頃私は寮に入っていた。夜の自習時間

になると、見廻りに来る舎監の先生の目を盗んではラ

ジオの音楽番組を聴いたっけ。見つかるとビンタを喰

らって廊下に正座。今思い出すと大笑いだ。

 ラジオからはいろんな海外のロックバンドの曲が流

れて来た。鬱屈した寮生活を送る私にとって、ロック

はあの夜の遥か遠方で炸裂する、何か言いようもなく

魅惑的な光のスパークであり、魂を揺り動かされるよ

うなノイズだった。それはこちら側の、この日常のも

のではなかった。それは非日常的な向こう側からの通

信であり、向こう側から到来したこの上ない欲望の対

象だった。こういうのを一言で何と言い表わせばいい

のだろう。なかなかぴったり来る言葉が見つからない

けど……。

 そうだ、これは「超越的なもの」というやつだ。

 本郷の平野の向こう、山の稜線の少し上の雲間から、

夕陽がその一部をギラッと覗かせている。手を伸ばし

てもとても届きそうにない遥かな憧れの対象。それを

掴むことは世界をこの手にすることに等しい。

 なんてね。超越的なもの? 何だか大仰で笑ってし

まう。だけど、そんな言葉でしか言い当てられない何

かとの出会いが、私達の生には確かにあるのだ。

 ところが、この「超越的なもの」であった筈の洋楽

ロックさえ、今ではごく僅かな例外を除いては、私に

とって魅力の乏しいものになってしまった。残念なが

ら、ストーンズもその例外ではない。じゃあなぜ行く

んだ? 再び単純な疑問が首をもたげて来る。

 列車は河内駅を出たところだ。窓の外はすっかり夜

になった。さっき沈んで行った太陽のように、私の中

のロックも没落して行った。その先には何があるって

言うんだろう。太陽が沈んでしまえば、夜空に星が瞬

き、薄ぼんやりした銀河が横たわり……ん? 銀河?

 

「『ジャンピン・ジャック・フラッシュ』のギターを

弾いてくれよ」

 不意に声が聴こえて来た。同級生のマツムラの声だ。

思い出した。中学三年のある日、私は広島市観音町の

喫茶『銀河』で、マツムラ達のバンドに一曲だけ加わ

って、ストーンズのこの曲を弾いたのだった。マツム

ラとは日頃の付き合いは無かったけれど、私がギター

をやっていると知って、声を掛けてくれたのだ。その

時私は、生まれて初めて人前に立ってギターを弾いた。

それが私の記念すべきライブ・デビューだ。そのきっ

かけとなったのが、ストーンズの曲だったのだ。

『銀河』での「デビュー」以後、私はバンドを組み、

高校、大学とロックをやり続けた。ロックンロール、

ブルース、ハード・ロックプログレッシヴ・ロッ

ク……。

 私はどうしてギターでロックを弾くことが好きだっ

たのか。それは一つには、曲の中にアドリブ演奏のパ

ートがあるからだった。ある決まった枠の中でその都

度自由に、即興的に弾くこと。この傾向の赴くままに、

私はもっと先へ進みたいと思った。だったらいっその

こと、その枠もできる限り取り払って、即興演奏のみ

の音楽をやってみたい。それはもはやロックとは呼べ

ないかも知れないが、かつてのフリー・ジャズとも異

なる自由な即興、フリー・インプロヴィゼーションだ。

やがて私はバンドを止め、即興演奏活動を始めること

になった。

 それが私の旅の最後に行き着いた場所だった。今で

はギターに触ることはなくなったけれど、なかなかエ

キサイティングな道行きだったじゃないか。その始発

の場所にストーンズがいて、私を旅へと送り出してく

れたのだ。私はストーンズから、そういう恩義を受け

たのだ。恩義には報いなきゃなあ。

 ストーンズの映画を観に行こう。でも、音の方はも

う分かり切ってる? そうそう、七十歳を越えたチャ

ーリー・ワッツは、どんな風に喘ぎながらドラムを叩

いているだろう。ギターのキース・リチャーズのゾン

ビ顔はどのくらい進行したかな。もう一人のギターの

ロン・ウッドも、けっこうゾンビ面になってきたか?

ミック・ジャガーの下品っぽい唇と、からだクネクネ

ピョンピョン飛び跳ねパフォーマンスは、これはもう

お約束と言うか、相変わらずだろう。だけど腰だいじ

ょうぶか? ゴメン、しょうもない興味ばっかりで。

 西条、八本松はとっくに過ぎ、列車は安芸中野の駅

に着いた。ここは既に広島市内だ。

 

「『ジャンピン・ジャック・フラッシュ』のギターを

弾いてくれよ」。

 そう言ってくれたマツムラ在日コリアンだった君

は、大学時代に韓国の親戚を訪ね、朴政権下の若者の

自由が大きく抑圧されている状況を知った。当時と較

べたら、今では君の母なる国は、いまだ道半ばとは言

え、あんなに自由になっているよ。君も私も、ロック

という「超越的なもの」を、ひたすらこの手に掴もう

とした。それを目掛けている時の、少しずつ、本当に

少しずつではあるが、自分はそれが出来るという感覚、

「われ能う」という感覚、たぶんこれが、自由という

経験の核にあるものだ。

 それと引き換えのようにして、「超越的なもの」は

徐々に没落して行く。それでいいのだ。その時既に、

観念に過ぎない向こう側ではなく、この地上の人間世

界の中で、この現実の社会の中で、私達の自由を相互

に承認し、実現して行く道行きが始まっているのだか

ら。

 列車が天神川に近付く。ストーンズが回帰して来る。

そうして、あの銀河が次第にその光芒を増し、これか

らの私の歩く道を照らす明かりとなってくれるに違い

ない。

 そう言えば、これから観に行く映画のタイトルは、

明かりを照らせ!『シャイン・ア・ライト』だ。

                  『R』82 2009年

 

 

 振り出しに戻った話 

 

(あ、また忘れた!)。

 声のない叫びを上げる。ここは自宅近くのスーパー

のレジ。パートさんが商品のバーコードを機械に読み

取らせている。

 また今日もエコバッグを持って来るのを忘れてしま

った。家電量販店の景品で貰った薄手のエコバッグ。

カタカナ新語で呼ばれているただの袋なんだけど、ク

シャクシャと丸めるとポケットに入る携帯性のよさ。

なのにこないだもその前も忘れて、仕方なく五円のレ

ジ袋を買ったのだった。

 今日も五円払わなきゃいかんのか。なんだかいやだ

な。いやだ。たとえ僅か五円であっても払いたくない。

ついこないだまで無料だったのに、何十年もの間そう

だったのに、ただじゃなくなった? そんなの有りか?

やっぱりいやだ。どうにも抵抗感が強い。

 じゃあどうやって買った物を持って帰るんだ。独り

密かに悩んでいる私の目の前で、パートさんが〈さば

煮つけ〉と〈白菜うす漬け〉を、それぞれ別の透明な

袋に入れてゆく。パックから中身がはみ出たり、汁が

零れたりする恐れのある惣菜等を入れる、レジ袋より

ずっと小さい無料の袋だ。

(もしやこの袋でいけるんじゃないか?)。

 これはやってみる価値あり。レジを通過してすぐの

台の所で、私は〈さば煮つけ〉の入った袋に〈じゃが

スティックうましお味〉とその他若干の品物を、同様

に〈白菜うす漬け〉の方には〈明治おいしい牛乳〉等

を、更に詰め込んでみた。おっと牛乳パックの角で袋

がピッと裂けてしまった。ごく薄いからだ。これはし

まったな。でも大丈夫。目の前に、客が一枚ずつ千切

って使用できるよう、この袋を連ねてロール状に巻い

たものが設置してある。やり直しだ。私はそれを一つ

貰うと、今度は破れないよう気を付けながら品物を入

れた。二つの袋を両手で胸に抱くようにして家路につ

く。ふふ、してやったり。

 それにしても、私という人間のこの妙なけち臭さは

どうだ。他の買い物では、桁のだいぶ多い無駄遣いを

よくやってしまうのに、レジ袋の僅か五円を出さない

とは、一体全体どういう了見の持ち主であろうか。

 首を傾げている間に一週間が過ぎた。私は毎日のよ

うにスーパーに行き、あの小さな袋を利用した。それ

は二袋のときも三袋のときもあった。記録は五袋だ。

これでエコバッグを忘れる問題はあらかた解決した。

 そんなある日、今度は自宅からかなり離れた所にあ

る別のスーパーで買い物をした。レジの向こう側に例

のロール巻きがあることを確認し、私は順調に食料品

を選んでレジに向かった。するとレジ横に、『レジ袋

は5円と3円の2種類があります』との貼り紙がある。

(ほう、こっちは三円のもあるのか)。

 私は何の抵抗もなく、「レジ袋三円の下さい」とパ

ートさんに告げ、五円のそれに較べてやや小振りなレ

ジ袋に品物を入れて帰った。

 しかしこれはどうしたことであろうか。五円のレジ

袋のときはあんなに頑強な抵抗感が湧き起こるという

のに、三円になるとあっさりOKか? その差たった

の二円ですよ二円。理解に苦しむ自分のセコさに、私

は少なからぬ当惑を覚えたのであった。

 さて再び自宅近くのスーパーである。その日は少々

品数が多くなった。私はカゴに溜まってゆく食料品を

見やりながら、今日は久々に五円払わねばなるまいと

覚悟した。〈プチ納豆4コパック〉や〈かれいの照焼

き〉あたりは、他の品物と共にあの小さな袋でもいけ

るが、〈濃縮還元アップルジュース(1・5ℓ)〉や、

〈庄原地養卵10コパック〉も加わるとなると、あれ

では無理である。それに今日は〈特選バラエティおつ

まみメガパック〉も買っておきたい。

 時節は一月も終わりを迎え、昨日から厳しい寒波が

襲来していた。生鮮食品売り場の冷気もこたえたのか、

私はレジでパートさんと対面しながら、着ていたジャ

ケットのファスナーを閉めようとした。その時、突然

閃いたのである。そうだ! このジャケットで品物を

梱包すればよい。五円払うのは中止だ。

 私はジャケットを風呂敷代わりにして全ての品物を

包み、それを肩に担いでスーパーを出たのである。自

転車のカゴに押し込んでしまえばもうこっちのもの。

ペダルも軽く風を切って一路ねぐらへ。あのロール巻

き発見以来の快挙である。しかしさぶっ。

 だが、快挙に酔い痴れたのはほんの束の間であった。

想像しても見よ。怪しい荷物を肩に担いで店内を移動

する不審な中年男を、店員や巡回中の警備員が見たら

どう思うだろうか。或る重大な疑念を抱くことは確実

であろう。これはまずい。大変にまずい。もちろんレ

シートを提示すれば誤解はすぐに解けるのだが、青色

申告の経費に算入できないレシートなんて、無意識の

内にそこら辺に捨ててしまいそうで不安だ。どうした

ものか……。

 しかしながら、何事も意を尽くして説明すれば道は

開けるんじゃないか。国や産業界を揚げて推進中のエ

コバッグにしても、その製造・流通過程においては、

やはりCO2が排出されるだろう。その点私は、レジ

袋はおろか、エコバッグすら使用しないと言っている

のだ。これは庶民レベルで地球温暖化を防止する活動

の、まさに急先鋒、名誉ある前衛と言っていいのでは

ないか。だから彼らも、にっこり笑って「ノープロブ

レム」と言ってくれるに違いない。真相は忘れるから

だけど。

 それはそうと先程から、私の脳裏に浮かぶたくさん

の冷ややかな視線が気になる。その多くは女性からの、

それも主婦層からの視線のようである。これはどうい

うことか。

 そうであった。彼女らこそ日々のお買い物において、

熾烈な戦いを生き抜いて来られたプロ中のプロであっ

た。彼女らの観点からすれば、五円は「僅か」ではな

く、三円はまだ「OK」ではない。二〇〇円より「た

ったの」二円安い「イチキュッパ」の響きは、天使の

囁く福音であろう。私の「妙なけち臭さ」や「セコさ」

の感覚など、まだまだ修行の足りない甘ちゃんのそれ

に過ぎなかった。こうして主婦層の観点をも会得した

私にとって、大容量にして出費ゼロのジャケット方式

は、いよいよ捨てがたいものとなった。

 とは言ってみたものの、実はその後、この方式を採

用したのは一度きりなのである。その理由は、あの重

大な疑念に対する危惧からというよりも、やっぱりみ

っともないからなのであった。それに寒い。

 そもそもジャケットを風呂敷代わりにするくらいな

ら、始めから風呂敷を使えばいいじゃないか。小さく

折り畳むなり丸めるなりして、ポケットに入れておけ

ばよい。今度大きめのを買っておこう。待てよ、それ

ならあの景品で貰ったエコバッグも、同じくらい薄手

で携帯性に優れているんじゃなかったか? あれをい

つも持ち歩けばいいだけのことだ。そう思って今もこ

のポケットに……。

(ああ、また忘れた!)。

 声のない叫び。こうして話は振り出しに戻ったのだ

った。

                    『R』83 2010年

 

 

 ニッケ飴奇譚 

 

 江戸時代、遊郭と芝居町は、民衆が定住する生活空

間の外に囲い込んで造られ、〈悪場所〉と呼ばれたが、

これを民衆のエネルギーの源泉と捉える現代の研究が

ある。

 それとは全く関係ないが、現代日本にも、私として

はこれぞ〈悪場所〉と、声を大にして江湖に訴えたい

場所がある。尾道市某所の『おかし本舗』という空間

がそれである。

 それは誰に取っての〈悪場所〉なのか? 私とみー

ちゃん(八歳・女子)に取ってである。但し、互いに

取りその意味と価値は真逆の関係となっている。みー

ちゃんに取ってはエネルギー横溢の源泉と言ってよい

が、私に取ってはエネルギー消耗の源泉なのである。

 国道二号線を走行中、尾道市高須あたりに差し掛か

ると、助手席のみーちゃんが、「おかしほんぽ……お

かしほんぽいく……」とうわ言のように呟き始めるの

だ。後部座席のケイコちゃん(みーちゃんの祖母)と

私は黙んまりを決め込む。すると「おかしほんぽっ、

おかしほんぽ!」、それは次第に強い口調になってい

く。なおも黙んまりを続けていると、終いには私の耳

元で「お・か・し・ほ・ん・ぽっ!」。あーもうわか

ったわかった! 車は国道から脇道に逸れ、『おかし

本舗』の駐車場にノロノロと滑り込む。

 店内に入るとそこは妖気渦巻く現代の〈悪場所〉。

たくさんの子供達とその母親達が、お店のミニバスケ

ットを片手に、尋常でない集中力を子供向けスイーツ

つまり駄菓子にのみ傾注し、さながら夢遊病者の如く

彷徨い歩いているのである。みーちゃんが光速でその

群れに同化したことは言うまでもない。何と、ケイコ

ちゃんもである。加えて私の腑に落ちないのは、それ

ら母子達とは関係なさそうな、中学・高校生と思しき

私服の女子達はまだいいとして、成人後それなりの年

月を経ているらしき妙齢女子も、その中には少なから

ずいることだ。

 なるほど子供達に取り、この地は伝説の黄金郷エル

・ドラドにも比すべき魅惑の〈悪場所〉であろう。し

かし、いくら世はスイーツブームとは言え、いい成人

女子が、お子供衆の駄菓子にまでその貪欲な触手を伸

ばすとは、いやはや、これは如何なものか(失笑)。

 その時のことだ。独り周囲から浮きまくって、人々

の様子や駄菓子の陳列棚を望見していたオッサン(私)

の眼に、〈ニッキ飴〉の四文字が入って来たのである。

 え? ニッキ? ニッキって何だっけ?

 軽い眩暈と共に、あの懐かしい味の記憶が蘇って来

る。曰く言い難い乙な味の飴だったなぁ……。だけど

ニッキって名前は何か変だ。どこか奇妙だ。何て言う

かこう、異世界的な響きがある。〈日記〉と同音なの

に。

 私の脳裏にアメリカン・ニューシネマ『イージー・

ライダー』のワンシーンが蘇る。怪優ジャック・ニコ

ルソン演じる金持ちのボンボン弁護士が、前の晩に泥

酔してブチ込まれた留置場から解放されて、上着のポ

ケットからウイスキーの小瓶を取り出し、グイとひと

口呷ると、「ウィー、ニッキ!ニッキ!ニッキ!……」

と奇声を発していた。変な奴だ。ニッキ!って何だよ。

訝しく思いながら、菓子棚のニッキ飴に手を伸ばす。

 私は〈悪場所〉のレジに並ぶ夢遊病者達の列にそー

っと加わると、ニッキ飴を一袋購入したのである。私

にもささやかなご褒美だ。

 ところで大方の皆様は、この妙味成分ニッキの素性

についてはよくご存知であろう。しかし私は、恥ずか

しながらこれについて甚だ朧気な記憶しか無かったの

である。なんか元は木の皮みたいなもんだったっけ?

 一ヶ月後。ニッキ飴の異世界的な妙味を既に堪能し

終わっていた私は、自宅近くのショッピングモールの

食品売り場にいた。何気なく菓子棚の間を通り抜けよ

うとしたその時、それが眼に入ったのである。

〈ニッケ飴〉。

 え? ニッケ? ニッケ? ケ……毛か?

 うーむ。ニッキは〈ニッケ〉とも言っているらしい。

直ちに私の脳裏に生家のお茶の間の光景が蘇る。私は

小学生だ。テレビでは司会のトニー・谷が、何ともコ

ミカルな仕草で拍子木を打ち鳴らし、「あんたのお名

前なんてぇの?」とやっている。人気番組〈アベック

歌合戦〉だ。提供は日本毛織株式会社、通称〈ニッケ〉

の名で広く知られていた。

 一回の出場カップルは四・五組くらいだったろうか。

優勝したカップルには、テレビや冷蔵庫などの家電製

品がプレゼントされるのだが、私の記憶に鮮明に残っ

ているのは、むしろ副賞の日本毛織の製品の方である。

優勝カップルの大抵は男性の方が、観客の前で自ら賞

品目録を得意げに読み上げるのだ。

「……副賞! ニッケ・ケフッ!」。慌ててトニー・

谷が彼に駆け寄る。「ケケ、ケフッてあなた、それは

モウフですよ毛布っ!」。会場がドッと沸く。別の週

の放送でも、同様の場面が数回あったと記憶している。

 あの人達は一体どうしたのであろうか? 毛布を

〈モウフ〉と読むことぐらい小学生でも知っている。

いや本人達も、自宅での日常生活においては〈モウフ〉

と言ったり読んだりしているに違いない。なのに、な

のに何ゆえ、ケフ?

 優勝して脳天が完全に舞い上がっていたから、とい

うのが常識的な見解であろう。しかし、しかしですよ。

いくら何でも〈毛布〉の二文字を見て「ケフッ!」と

叫んでしまうなんて、舞い上がるにも程がある。そこ

には何か超自然的な力が働いていたのではないか? 

と怪しむのは私だけではあるまい。

 明敏な皆様なら既にお気付きであろう。彼が「ケフ

ッ!」と叫ぶ正にその直前に、「ニッケ」と言ってし

まっているではないか。

 どうもこいつが怪しい。奇怪なパワー波動を感じる。

ニッケのケはモノノケのケ、ケッタイのケ、ケムクジ

ャラのケ……。

 ニッケ(ニッキ)とは正確には肉桂(ニッケイ)と

言い、クスノキ科ニッケイ属の常緑高木の樹皮や根を

乾燥させたものである。古くから香料や香辛料、また

生薬の原料として利用されており、中でもスリランカ

産のセイロンニッケイはシナモンと呼ばれ、広く人々

に愛好されている。

 ネット検索でニッケを調べて、私は些か複雑な気持

になった。〈肉桂〉はなかなか不気味な感じがしてい

い。〈肉〉が。問題は〈シナモン〉という言葉。気だ

るい午後のカフェテラスでシナモンコーヒーする貴女?

今度のバレンタインは彼にシナモンチョコとシナモン

クッキーを作ってあげるのウフフ? これじゃあオシ

ャレなもの、素敵なものになってしまう。あくまでニ

ッケは変で奇妙でケッタイでケムクジャラなものでな

くてはならない……。

 悩んだ末に、私はニッケ文明のシナモン的側面につ

いては、これを無視することにした。つまり〈シナモ

ン〉なる言葉はこの世に存在しない……だけど駅前コ

ーヒーショップのシナモントースト、あれ美味かった

な。今度行って「えーとあのうニッケトーストセット

ください」って言うのか? 目が点になったウェイト

レスに、なぜ? と点目返しする私。

 ご安心ください。そこはそれ。臨機応変な大人の振

る舞いを、仕方がないからします。

 

 

 

 ツリー・アドベンチャーと、その他若干のこと 

 

 鬱蒼とした森の続く山中に小さな谷があり、谷底には

小川が流れている。小川のほとりには数十本の杉の木が

散在し、地上八メートルの高さで吊り橋などによって繋

がれている。吊り橋の床板は、簡単には渡って行けない

よう飛び飛びになっていて、手すりのロープもなんだか

頼りない。木と木の間を繋ぐのは、他にも丸太が一本だ

けだったり、ブランコみたいな物が十幾つ連なっていた

り、いろいろだ。要するに樹上のアスレチックコースを

想像すればいい。挑戦者は胴体にハーネスを装着し、ヘ

ルメットを被って、コースに沿って張られた頭上のワイ

ヤーロープに、可動式の命綱を繋いだ状態で渡って行く。

これが『大鬼谷ツリー・アドベンチャー』だ。広島県

原市の北の山中にある。

 その吊り橋を小学校二年生のみーちゃんが、やっとの

思いで一歩、また一歩と渡って行く。みーちゃんを先導

するのはお母さんのはるちゃんだ。なかなかのスポーツ

ウーマンであるはるちゃんでも、渡って行くのにかなり

手こずっている。コースの別の場所からは、子供の怖が

る声が聞こえて来る。女の子のみーちゃんよりも上級生

の男の子が、リタイアしてロープで地上に降ろされたの

だ。

 コースの最難関、たった一本のロープを歩いて渡らな

いといけない所で、流石にみーちゃんも、「もうむり!

もうむり! おりるー、おりるー」と泣き叫び始めた。

足を踏み外しても落下はしないのだが、地上八メートル

の高さで宙ぶらりんになってしまう。頼りはたった一本

の命綱。これは相当怖いのだ。

 ところが、本当に降りるか、それともスタッフのお兄

さんに手伝ってもらって渡るかと尋ねると、やっぱり行

くと言う。コースの最後のお楽しみ、命綱一本による七

十メートルの空中大滑走をどうしてもやりたいからだ。

 みーちゃんはスタッフの手に掴まって何とかロープを

渡り切り、残りのコースは自分でクリアして、最後は大

喜びしながら大滑走と着地までをやり終えた。なかなか

根性あるぞみーちゃん!

 それはいいとして、みーちゃんのすぐ後ろで、「がん

ばるんだみーちゃん!」とか、「おおっと! かなり怖

いねこりゃあ」とか言いながら、おっかなびっくりのへ

っぴり腰で丸太やら吊り橋やらをジワーリジワリと進み、

地上で撮影しているけい子ちゃん(みーちゃんの祖母)

に、余裕が無いくせに手を振っている中年後期の短パン

眼鏡男、こいつは一体誰だ? はい、それは私です。

 

 ふぅーーーーーっ。

 けい子ちゃんが撮ったビデオを見終わって、私は深い

ため息を吐いた。我れ衰えたり。木登りが得意技だった

昔なら、こんなものはさして苦労せずにクリアできた筈

だ。ビデオには、この後みーちゃんと川で泳いだ場面も

収録されているが、そこで披露された私のポッコリお腹、

あれもいただけない。

 それと、撮影者が付いて来れないのでビデオには撮っ

ていないが、みーちゃんときたらやたらと駆けっこをや

りたがる。そして勝ちたがる。並んでヨーイドン!する

と、まあムキになって走ること走ること。仕方が無いか

ら接戦を装ってぎりぎりのところで負けてやるのだが、

正直言ってきつい。そのうち本当に負けてしまう。これ

は何とかしなくては。まだまだみーちゃんごときの後塵

を、わざとでなく拝するわけにはいかない。

 私は今後のプランを練る。みーちゃんが高学年になる

までは、一緒にアウトドアで大遊びするとして、その間

は身体能力をこれ以上衰えさせるわけにはいかない。い

や、現状維持では駄目だ。往年の体力と、あのダビデ像

の如き筋肉美を復活させなくてはならない。

 ダビデ像は冗談だ。実はただの痩せっぽちに過ぎなか

ったが、ともかく、昔はもっと身軽でしなやかな体躯の

持ち主だったということだ。つまりただの貧相な痩せっ

ぽち……。

 それはもういい。今後の計画を練らねば。そうだな、

フィットネス・クラブへでも……痩せっぽち。

 もういい筈なのにそれなのに、何故か、何故か執拗に

痩せっぽち時代の記憶が蘇ってくる。高校は男子校だっ

たが、二百人近い同級生の中で、私は痩せ男ベスト3に

ランクインしていた。但し、私の名誉のために言ってお

くが、流石にナンバー1ではなかった。ああ良かった。

栄えあるナンバー1の男、彼こそは私の親友Tであった。

 恐るべき痩せっぽちの親友Tは、痩せっぽちゆえのみ

っともない話に事欠かなかった。

 一例を挙げよう。ある朝Tが目覚めたら、どういう訳

か布団から起き上がれなくなっていた。どこにも痛みは

ない。びっくりした家族が救急車を呼んで病院に担ぎ込

まれたわけだが、医師が診断を下して曰く、「いわゆる

腰が抜けた状態です」。何だってぇ? 腰が抜けたあ?

そんなのか弱き女性が突然の恐怖体験に遭遇して尻餅つ

いて動けなくなった時に、比喩として使われる言葉じゃ

ないのか? よく分からないが、痩せっぽちゆえの骨盤

(筋)の脆弱さが招いた突然の災難だったらしい。

 私はナンバー1のTからその告白を聞かされた時、驚

愕の余り「そ、それじゃあおまえ本当の腰抜け男じゃな

いかあ!」とつい叫んでしまったものだ。顔には隠そう

にも隠せぬ優越感を浮かべていたことであろう。私は思

った。この世にTがいる限り、私は痩せっぽちコンプレ

ックスに押し潰されて道を誤ることはあるまい。どんな

に苦しくとも、どんなに痩せていても、Tよりはマシ。

Tこそ我がプライドの最後の防波堤。やはり親友は大切

にしなくては……。

 ところが、ところがである。ああ何という残酷な裏切

り。実はTは、当時世界を席巻していたビートルズのジ

ョージ・ハリスンに、首から上のルックスがそっくりだ

ったのだ。つまりかなりハンサムな顔立ちと言ってよい。

 だけど首から下はナンバー1のTが、広島市紙屋町の

本通りを歩いていた時、とある美人姉妹から声を掛けら

れたのだ。お姉さんの方が恐縮しながら言った。「あの、

妹と付き合ってやってくれませんか?」。何でも純情な

その妹さんは、Tが本通りを歩いている姿を何度か見掛

けて、まあ♡、ジョージ・ハリスンにそっくりだわぁ!

と、秘かに恋心を募らせていたらしい。Tは直ちに承諾

した。

 うぬ……。何ということだ。私にはそのような話は皆

無であった。ナンバー1のくせに。承諾するなよあのヤ

ロめ。一体世の中どうなっているのだ。おかしいぞ。思

えば暗い青春時代だった。もう思い出したくない……。

『中肉中背』。痩せっぽちの私(とナンバー1の親友T)

にとって、これこそ遥かなる北辰ポラリスの彼方に鎮座

まします憧れの体型だった。あれから永い年月を経た今、

私の体型はこの中肉中背にかなり近くなっている。なの

にちっとも達成感が湧いて来ないのはどういうわけだ?

ちっとも幸せな感じがしないのは何故なんだ? お腹だ。

このポッコリお腹のせいだ。そして、みーちゃんごとき

コワッパに、駆けっこで負けそうだからだ。

 リベンジ(一体何に向けてなのかハッキリしないが)

への炎をメラメラと燃やす私のお腹が、それからどうな

ったのか? それはまた後の世の物語とさせていただき

たい。

                 『R』88 2014年

 

 

 

● エッセイ誌『R』1972年創刊

  発行:編集工房ぱぴるす(尾道市

 

 

 

 

 

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utanpola  ( ゆたんぽら ♂ )。 

拙い詩の倉庫。推敲・改作・詩集の編集。 

(作品が増えて行けばいいのですが) 

詩作の他、趣味は読書、音楽、アートの鑑賞など。 

タテ書きのテーマを作ってくださった 

nitro_idiot さんに感謝!

 

と、テスト的に詩を三つくらい書きこんだだけで、

その後二年近く放置。

2015.11月にせっかく作ったんだからと再開。

まあ、ぼちぼちやって行きます。 

  

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