Foliage Poet

つたない詩の倉庫/推敲 ・ 改作 ・ 編集

詩集 多島海より ( 未完)

 

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 天牛 ( 国文祭京都2011入選作品)  

 

てんぎゅうをとりにいこう

きみがそう言った夏休みに

ぼくらは残忍なハンターになる

 

もくもくと青空に湧く入道雲

稚魚の群れが回遊する島の海を

ぼくらは毎日飽きるほど泳いだ

 

陸に上がって濡れた体を拭いても

蝉の声の合唱に囲まれたら

すぐに大粒の汗が吹き出て来る

 

湿気た藪に羽虫の群れが忙しく舞い

麦草の上を黄金虫が飛んで行って

ぼくらの行く先は斑猫が道案内

 

草叢から蝮が這い出て来ると

きみは素早くしっぽを掴んで

そいつと遊んだ後で頭を潰した

 

ぼくらは島の少年

萱の茂みを掻き分けて行けば

そこはぼくらの眩い聖域

海風が昼寝をして

草いきれの立ち昇る荒畑に

自生する無花果の大樹

天牛は夏の乳房に抱かれて

葉っぱや枝に必死でしがみついて

乳白色の汁を吸う赤ん坊だ

 

黒い翅に星が散らばる髪切虫

驚いて飛んで行く奴は放っておいて

ぼくらは歓声を上げながら捕り続けた

 

袋代わりの帽子に獲物を詰め込むと

おとな達のいる農協の建物へ行って

天牛の数を数えて小遣いをせしめる

 

幼虫が蜜柑の樹を枯死させるから

角のある頚を千切られた天牛への供物は

ラムネと甘イカと真っ赤なかき氷だ

 

こんどはさかなをつきにいこうか

家路につく前に ぼくらはもう

あしたの遊びのことを考えている

  

 

 ※天牛=髪切虫(カミキリムシ)の漢名。

 

 

 

 おとめ ( 国文祭おかやま2010 入選作品) 

  

海藻の匂いが漂い

干し蛸がぶら下がる漁村の道を

おとめは エシエシ笑いながら歩く

焦げ茶色に焼けたうなじを

乾いた潮風が打つ

塩をまぶしたような髪をほつらせ

おとめは よだれを拭きながら

ぼろを引きずって歩く

 

遠い昔の寄宿舎で

島から来た同級生に聞いた話

 

夜のラジオからは

ザ・ビートルズの曲が流れていた

教会で米粒を拾うエリナー・リグビー

  (寂しい人々は何処から来るのだろう)

おとめの島に教会はなかったから

虚空蔵さんやお大師さんのお接待の

お菓子を恵んでもらったのだろうか

 

おとめ 乙女? 「お」が付いた「とめ」

それとも音女か 音の眼か

 

ザ・ビートルズは歌う

誰も近づく者のいない神父の孤独

  (寂しい人々は何処に身を寄せるのだろう)

おとめにも 誰も近づく者はいなかった

囃し立てながら後ろに付いて来る

子供達を除いては

 

磯では終日ゆっくりと

ヒトデやウニが動いている

舟を沖に漕ぎ出せば

魚群の上を鳥が舞う

おとめの海は

マダイに追われるイカナゴの群れも

背びれを揺らせて直立するタチウオも

いたかも知れない子の記憶も

すべてを呑み込んで波打っている

 

おとめは奇声を上げて

子供達を追いかける

鳥のように散らばる子供達

魚網の陰から様子を窺っては

またそーっと近づいて

からかいの言葉を投げ付ける

やがて飽きてくると

鳥のように

母の待つ家に帰る

 

おとめは一人になり

島の西の浦まで

またぼろを引きずって歩いて行く

灯標のある岩礁に夕陽が沈む

  (ああ、沢山の寂しい人々を見てごらん)

今もあの曲を聴くと思い出す

砂浜に立つ黒い後ろ姿

 

おとめよ そこから

何が見える 何が聴こえる

 

 

 

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 金柑

 

深緑色の小葉が群れる枝に

金の果実が十幾つ

 

花瓶に挿して眺めていたら

子供の頃に読んだ

セルビアの民話を思い出した

 

夜更けに鳥が盗みに来る

王宮の金の林檎

鳥は綺麗な女性に変わり

見張っていた王子様と結ばれる

 

これは金柑

私は王子様じゃないけど

 

夜更けまで見張っていようかな

 

 

 

 祖母の記憶( 県文祭2013広島市教育委員会賞)

 

十六で嫁入りした祖母は

まだ娘だったから

近所の子供達と鞠を突いて遊んでいた

すると 嫁入りした女はもう

そんな遊びをしてはいけないと

誰かの叱る声が聞こえて来たという

 

春の夜明け前に

積み重なった笹の葉の下から

筍が微かな音を立てて生えて来る

祖母が竹薮に行くと

子供の姿をした竹薮の精が

飛ぶように先を走って行き

祖母は少ししんどそうに笑いながら

その後を追って筍を掘る

 

雉が飛び立つ夏の畑で

祖母と離れて遊んでいた私は

からす蛇に遭遇して泣き出した

祖母は作業の手を休め

額の汗を手甲で拭いながら

雉と一緒にからす蛇も飛んで行ったと

泣き止まない私を慰めた

 

秋になると祖母は

竹で編んだ箕の中に

収穫した穀物を入れて揺さぶり

殻や塵を巧みに分け除いてゆく

幼い私も真似をして遊んだが

上手くゆくわけはなかった

祖母の記憶はいつも

この作業をしている姿で終る

 

或る冬の日の夕刻

村人が草叢の中に倒れている祖母を見つけた

 

お寺に向かう長い葬列

大人達はしきたり通り

頭に白い三角の紙を着けていた

その中に私もいて

あちらこちら動き回っていた

 

小学校の横の登り坂に差しかかると

私を見つけた同級生達が

校舎の窓から身を乗り出して囃し立てた

私はとてもばつが悪かった

もう 竹薮の精になって

祖母と筍を掘りに行けないのに

 

春に祖母のことを思い出していると

夜がだんだんと更けて行く間に

遠くの竹薮の地面がゆっくりと盛り上がり

筍が生え出て来そうな気配がある

その横で十六の娘が

鞠を突いて遊んでいる

 

 

 

 夢

 

白っぽい視野の中に

草の生えた道があり

知らない樹木が立っていた

 

母は和服を着て

道にひとり佇んでいた

すると向こうから

何年も前に死んだ父が歩いて来た

 

ぱりっとした背広を着た

青年の頃の父だった

母は懐かしそうに父に近づくと

ふたことみこと話しかけた

 

父はたいそう照れながら

何か言葉を返している

父の背広の袖に触れるたびに

母は若くなってゆく

 

やがて父は母の手を取り

後ろ姿の若い二人は

まだ私の生まれていない

夢の奥へと消えて行った

 

 

 

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 記 憶( 県文祭2012広島市長賞)

 

  トキエは泣いている。薄暗い納戸の奥の、紅い鏡掛

を開いた鏡台の前に座り、泣きながら化粧をしている。

「おかあちゃん」。幼い私はトキエに纏わり付いて、

その名を呼び続けている。戸外から畑仕事に行く父の

呼び声が聴こえて来る。町育ちのトキエには馴染めな

い農家の日々と、父への精一杯の抵抗。「おかあちゃ

ん」。私はいつまでも呼び続けた。

 

 まだ日差しの強い秋の日に、私はトキエに連れられ

て何処かの保養地に向かっていた。トキエと私は手を

繋いで列車に乗り、手を繋いで畦道を歩いた。見上げ

ると、帽子を被ったトキエの顔が、青空を背に私に微

笑み掛けている。トキエと私は知らない女の人達と一

緒にお風呂に入った。薬湯に濡れた白い肌の記憶が、

仄かな香りと共に漂っている。

 

 やがてトキエは甲状腺を病み、遠くの町の赤十字

院に入院した。日曜日に見舞いに行った姉と私を、ト

キエは寝台から身を起こして迎えてくれた。姉と私は

トキエに見守られながら、病院の敷地内の池の畔で遊

んだ。静止した時間の中で、萱の茂みだけが風に揺れ

ている縁のぼやけた記憶。病院の横の橋を渡ると、貸

本屋の小さな暗がりがあった。

 

 私はトキエを見舞ったことを作文に書き、全校生徒

の前で読み上げた。その時、私は涙ぐんでしまった。

級友達は私をからかい、教師も私に声を掛けた。講堂

の壇上での、どうしようもない恥ずかしさの記憶。し

かし寂しさと悲しさの記憶は、今では重い石の蓋をし

て草叢に放置された古井戸に沈んでしまっているかの

ようだ。

 

 月日が経ち、トキエは年季の入った農家の主婦にな

った。私は青年になり、大学の夏休みには帰郷した。

青い海が光り、ひっきりなしに蝉が鳴く島の蜜柑畑に、

女子高生達が摘果作業の手伝いに来ていた。その中の

一人が、蜜柑の樹の枝を這う蛇の子供を見付けて泣き

出した。「ありゃまあ可愛い蛇じゃが」。トキエは笑

い、代わってその樹の摘果をした。

 

 私はE・T・A・ホフマンの小説の一場面を思い出

した。棕櫚の木の幹を伝い降りる金緑色の蛇。そして

ロマン派の小説や絵画に描かれている女性に憧れた。

しかし、蜜柑畑の女子高生達には無関心を装い、そう

やって格好を付けている割には、のんびりと小枝に絡

まって遊ぶ目の前の小さな蛇に対しては、ただ手を拱

いているばかりなのだった。

 

 それから更に永い年月が経った。記憶は霖雨に煙る

遠い島影のようだ。私はいい歳になり、先年トキエは

八十八歳の生涯を終えた。

 

 

 

 巡礼歌

 

あなたが残して行ったもの

 

俳句を連ねた小さなノート

表紙がぼろぼろになった聖書

漱石の「虞美人草」と

若山牧水の歌集

壇の上の 薄い写真の中の

やわらかな微笑み

 

かつてあなたが

夫を見送った夜

持鈴を鳴らしながら歌った歌が

いま再び あなたを見送る

私の耳に聴こえて来る

 

―あなたに伝えたい言葉があります

 

呼び掛けても

もう届くことのない春の日に

澄んだ響きの巡礼歌を歌っている

 

あなたは

いま

何処にいるのですか

 

 

 

 グラウンド・ゼロ

 

あの現場の写真を見た

瓦礫はすべて撤去され

金網や柵に囲まれたそこは

グラウンド・ゼロと呼ばれていた

 

そして現在 私が住む街の駅前に

デパートを取り壊した後

再開発計画が頓挫して

そのまま放置された広い跡地がある

 

街の真ん中の

鉄の塀に囲まれた空虚

 

 ハイジャックされた旅客機が

 ビルに突き刺さったわけじゃない           

 

 炎上するツインタワーから

 死のダイビングをしたわけじゃない

 

 高熱に溶かされたビルが

 映画のように崩壊したわけじゃない

 

なのにどうして

 

花粉症の眼をこすっていたら

駅前グラウンド・ゼロから

カラスが海へ向けて

ミサイルのように飛び立った

 

 

 

 友人

 

ゴルフ焼けしたいい親父になった

今では大阪の営業所長さんだ

 

――僕らの音楽を理解してくれる人は

  この都市に一人か二人ってところだ

  だけど これだけは確実に言える

  僕らは凄いことをやっているんだ

 

チラシやポスターを手作りして

小さな画廊でフリー・インプロヴィゼーション

聴きに来た十人は八人までが仲間内だった

 

あれから四半世紀

今も君の言葉を覚えているよ

話の合間に伝えたかったけれど

列車の時刻が近付いた

 

――これでもう会うことはないかもなあ

 

帰り際の友人の言葉に

それもまたよしと思った

 

 

 

 蛇 ( 国文祭あきた2014 入選作品)

 

  遠目には黒い紐に見えた。近寄ってみると蛇の子供

だった。体長は二十センチくらい。JR新幹線駅の東

口を出てすぐの、駅前広場のフロアタイルの上に横た

わっている。尻尾の後ろの、コンクリートの柱と床と

の接合部に、蛇が出入りできそうな亀裂が開いている。

その奥に巣があるのだろう。小さな頭を僅かに床から

もたげているが、なにしろ全身が真っ黒なので、どこ

が眼なのか皮膚から判別するのが難しい。その眼には

どんな世界が映っているのか、駅前広場のずっと向こ

うの方を眺めているような姿のまま、ピクリとも動か

ない。親や兄弟はいるのだろうか。皆で暗い巣の中で

身を寄せ合って、地上へ旅立った家族の行く末を案じ

ているのかも知れない。もしかしたら、この駅の地下

は蛇の巣だらけなんじゃないか? 蝮や青大将がとぐ

ろを巻き、山楝蛇や縞蛇やハブが這い回る、蛇の王国

が広がっているんじゃないか? 外来種のでかい奴も

のたくっている? 在来線の列車がホームに入って来

る音が想像をかき消す。背後を若い男女の笑い声が走

り過ぎて行く。小さな頭が僅かに動いたように見えた。

 

(蛇の子供は進み始める。生まれ育った場所に別れを

告げ、駅前広場を這って行った遥か先には、迷路のよ

うな街が広がっている。それは蛇の子供にとって、穴

や溝や亀裂やいろんな質感を備えた凹凸の連続だ。ア

スファルトやコンクリートばかりじゃない。土や草や

樹や水場もある。餌になる虫にも困らない。そんな格

好の遊び場を横目にしながら、蛇の子供は進んで行く。

漠然とした予感を胸に抱きながら、街の中心部を抜け、

海岸べりの家と家の間の、暗い排水溝の縁を這って行

くと、ふいに視野が開けて、蛇の子供はいっぱいの光

に包まれる。目の前には真っ青な海が広がっている。

すると飛び魚のような胸ビレが左右に生えて、蛇の子

供は海へ、海の沖へと飛んで行く。)

 

 駅構内のうどん屋で昼食を済ませた。職場への帰り

にまだいたら駅員に告げようと思ったが、そこにもう

蛇の姿は無かった。

 

 

 

 病院

 

夜の付き添いに疲れて

人気のない待合室の

ソファでうつらうつら

 

窓際に置かれた

ヒヤシンスの根が

くねくねと

夢の中まで伸びてくる

 

先端の脈動に

病院のすべての機器が

共鳴している

 

 

 

 潮騒

 

冷んやりした部屋の

窓際に椅子を置いて座る

 

裸電球に照らされた

オレンジ色の壁に

魚の形の滲みが付いている

 

じっと見つめていると

風が梢を揺らす音に混じって

足音が聴こえてきた

 

だんだん大きく

近くなると

ドアの前で

ぱたっと止まった

 

(ただいま

 

誰も言ってくれないから

 

(おかえり

 

ひとりで呟いてみる

 

歩き出した足音は

だんだん小さく

遠くなって

やがて

消えてしまった

 

誰だったのだろう

 

魚の形の滲みが

部屋中に広がって

すべてが闇になった

 

たぶん夜の海だったのだろう

 

 

 

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 シジミ蝶 ( 県文祭ひろしま2014入選作品)  

 

国道二号線を走っていたら

視野の右側から

ふいに何か飛び込んで来た

と思ったらサイドミラーの上に

シジミ蝶が止まっていた

小指の爪ほどの大きさの

灰白色の翅をピタリと閉じて

全身で風を浴びている

すぐに飛んで行くだろう

ちらりちらりと見ていると

アクセルを踏む足が緩んでくる

バックミラーの後続車が迫って来た

焦ってアクセルを踏み込む

吹き飛ばされるかな?

だがシジミ蝶は動かない

ちら見を続けていると

またアクセルが緩んでくる

後ろの車が迫って来て

アクセルを踏み込む

これをもう一度繰り返したが

シジミ蝶は動かない

道路の両側に続いていた

古い街並みを抜けると

港の棕櫚の木が見えてきた

十字路に差し掛かり

赤信号で停止する

風が止んだ

遠くに海が見える

ふいにシジミ蝶が飛び立った

フロントガラスにぶつかって

曲線を三つ四つ描いた後

身を翻して港の方へ消えた

港からは船が出て行く

故郷の島に寄港する船だ

何年も帰っていない

もうすぐ四月

母の七回忌がやって来る

 

 

 

 かなしみを知らない

 

あい変わらずぼくは

かなしみを知らなかったから

トーイチに会いに行った

 

夜中に網小屋に降りて来て

悪さする星どもなら知っとるがの

じゃが かなしみは知らん

カン女に聞け

ごみ捨て場でごみを漁りながら

トーイチが言い終わると

ぼくはトーイチになっていた

 

トーイチは

カン女に会いに磯へ行った

 

海髪豆腐を食べた鳥は

水母に生まれ変わるんは知っとるで

じゃが かなしみは知らん

イサクンに聞け

磯で蜷や海髪草を採りながら

カン女が言い終わると

トーイチはカン女になっていた

 

カン女は

イサクンに会いに岩礁へ行った

 

満潮の時に姫虎魚に刺されたら

干潮まで性夢を見るんは知っとるど

じゃが かなしみは知らん

海に聞け

岩礁の魚や蛸を銛で突きながら

イサクンが言い終わると

カン女はイサクンになっていた

 

イサクンは

沖へ舟を漕ぎ出した

 

紺碧の海は

たくさんの小島を浮かべて

何処までも広く深く

潮の流れが

木切れや白い漂流物を

弧を描きながら運んだり

所々で渦を巻いたり

懐に魚群を回遊させて

青空には

鳥達が魚を狙い

てんでに鳴きながら

舞っている

 

鳥達が鳴き止んだとき

イサクンは海になった

 

ぼくは海になった

 

かなしかった

 

 

 

 ぬるい風

 

 よく晴れた夏の日の朝、私は海岸沿いを走る電車のシー

トに座っていた。ふいに砂浜のぬるい風が窓から吹き込ん

でくると、私が飲み干したペットボトルの中に、しゅるし

ゅると渦を巻きながら吸い込まれてゆく。そのとき私はも

う少しで喃語を喋りかけたが、ペットボトルの中で魚の鱗

がキラッと輝くのが見えたので、あわてて蓋をした。

 

 ペットボトルはたちまち風船のように膨らんできた。身

を離して見ていると、終いにはパーンと破裂して、一瞬の

間あたりには何も見えなくなった。気が付いたら電車は何

の変わりもなく進んでいる。しかし窓の外は海の底にな

り、海藻が揺れる珊瑚の周りを魚が泳いでいる。私はまた

喃語を喋りかけたが、もう少しのところで舌が裏返って

しまった。

                   

 ペットボトルから飛び散ったぬるい風は、白い泡の群れ

になって電車の窓から飛び出し、海中を遠ざかって行っ

た。と思ったらすぐに戻ってきて、私から素早く喃語を奪

い取ると、海面を目指し一目散に上昇してゆく。私はあわ

てて車両から潜望鏡を出して覗いてみたが、たちまち魚の

群れが潜望鏡に齧り付いて、まったく用をなさなくなっ

た。

                   

 斜め前に座っていた女子高生が、私の様子を眺めてケタ

ケタ笑っている。私は何事もなかったような顔をして潜望

鏡を覗いていたが、だんだんきまりが悪くなってきた。海

面に達して空気中に解放された私の喃語が、多島海に響き

渡っているのがここに居ても聴こえてくる。すべての風が

喃語を喋り出すのも時間の問題だ。

                    

 女子高生はケタケタ笑い続けている。電車が陸に戻った

ら、彼女に事のいきさつを説明したいものだ。私は喃語

失ったのだから、普通の言葉で喋ればいいだろう。

 

                                        

( 注)「 喃語( ナンゴ)」=嬰児のまだ言葉にならない段階に発する声。